「復讐するは我にあり」あらすじ・感想。実在事件をモデルにした日本映画の名作

映画レビュー
出典:Hulu

昭和38年、榎津巌{えのきず・いわお}は、詐欺師で殺人者。

5人を殺害し、12万人もの警察の包囲網をくぐり抜けた78日間の物語。

「復讐するは我にあり」

榎津巌・・・緒形拳

榎津加津子・・・倍賞美津子

榎津鎮推・・・三国廉廉太郎

榎津かよ・・・ミヤコ蝶々

浅野ハル・・・小川真由美

河井警部・・・フランキー堺 他

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「復讐するは我にあり」のネタバレあり感想

ある意味サイコパスの殺人鬼の物語なのだが、現代の殺人鬼の希薄さでは無く、時代に翻弄された過去を持つ男の儚さが描かれています。

主人公の巌の父は、クリスチャンであり戦後の日本では迫害を受けていました。

巌はクリスチャンなのだが、成長期にその父の姿を見て育ち本来の人格が曲がっていきます。

現代とは違い、人格形成にいたるまでの少年期から青年期までは、何の情報もありません。

ある意味、地域の中での知り合いの中のコミュニケーションでしか人格は形成されません。

主人公は、その小さな地域が生んだ怪物です。

何のためらいもなく人を殺して行きます。

最後には殺人者と分かっていても、主人公をかくまい、主人公に殺される女まで現れます。

尋常では命の激しさが、不思議な魅力になり、気が付けば人は騙され殺されて行きます。

テレビ版も何人かの俳優が演じたが、緒形拳と三国連太郎の圧倒的な存在かなければ、極上の映画にはならなかったでしょう。

ただの三面記事を映画に仕立て上げた、当時の映画人の気骨が感じられます。

最初の殺人で手についた血を立小便で洗い流しながら、渋柿を食べて「まずい!」と吐きだしながら逃げる主人公。

この場面のリアルさで、全て持って行かれます。

その後も、死体をタンスにしまいガムテープで止め、缶詰を食べようとするが、缶切りが無くウロウロする主人公。

つけたキムチをほうばりながら、連れ添った女の首を絞める主人公。

理由なき殺人だが、主人公には理由があります。

その理由が知りたくなり、覗き込むように画面を見てしまいます。

無駄な演出も、派手なアクションもありません。

ただただ、主人公は自分の思うままに生きます。

罪悪感の無い人間と言うのはこういう人間なんだと、画面から叩きつけられ、恐怖と好奇心で画面から目が離せなくなります。

そして主人公の妻は、主人公の父親を愛してしまいます。

せまい世界の中で生きてしまったからこそ、愛してしまいました。

父親の同情を愛に感じてしまい、父親を欲する義娘。

三国連太郎と倍賞美津子の混浴の場面は圧巻です。

昭和の閉ざされた性を見事に演じ切っています。

戦中を体感して来た人間達は、きっとこうなってしまうのであろうと理解出来てしまう、人間像なのです。

食と性しか、人間の楽しみと、はけ口が無かった戦後を成長期に過ごした人間はこういう感性の人間だと観客を納得させてしまう演技力。

「お父さんがボケたら、お父さんのよだれ・・すすってあげる・・」

若き日の倍賞美津子が、実になまめかしく三国連太郎にすりよります。

見てはいけないもの、見世物小屋の奥の暗闇のような愛情。

映画でしか描くことの出来ない世界がそこにはあります。

主人公は逮捕され、実の父親と面会します。

憎しみ会うことでしか家族になれません。

家族だからこそ憎しんでしまいました。

これだけ何人もの人間を殺した男が、実の父親を殺さなかったのは実に興味深いことです。

刑務所でののしりあいお互いを殺す!と叫び続ける親子。

死刑になった、主人公の遺骨を父親が空中に散布すると、場面がストップモーションになります。

死して骨になっても、まだ、くらいついてきます。

空中に浮かんでいる骨を見て、父親はおののく。

自分の体から生まれでた怪物に、おののく。

それは父親が、自分自身の闇を見ているようにも感じられる描写である。

不条理な人間達なのだが、時代背景を考えると納得してしまう人物像。

風景や、街並みの描写のカットがそれを支えます。

主人公が、逃走中に映画館に入ります。

多分、ロシアの軍艦であろう古い戦争記が流れています。

その描写は、明るい昭和では無く、戦後の昭和を表しているようでなりません。

ポイント1:  俳優の演技力

ネタばれの欄にも書いてあるが、とにかく俳優が良いです。

緒形拳、三国連太郎、倍賞美津子を始め巌を連行する、フランキー堺のひょうひょうとした中に見せるシビアな表情清川虹子演じる、ギャンブル狂で、人を殺したことのある老婆。

巌に抱かれる娼婦小川真由美。

どの俳優も、匂いたつような色気があります。

その役の呼吸が聞こえてくる俳優の演技力です。

とにかく隙が無いキャスティング。

エキストラでさえ、現場を作ろうと言う空気を感じます。

今の映画では、見ることの出来ない表現です。

ポイント2: セリフのセンス

基本実録モノの映画と言うのは、変にデフォルメされ、セリフ自体が薄くなりスキャンダラス性ばかりのシナリオになりがちですが、「復讐するは我にあり」に限っては小説をも凌駕する、新しい解釈の出来るセリフが多いです。

「俺の人生、こげなもん・・」

「刑事さん・・刑務所は寒かろうね・・どかんと・・寒かろうね」

この二言だけでも、この人間の悲哀を感じることが出来ます。

どの役にも、このようなセリフが散りばめられています。

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まとめ

この映画に影響され、好きすぎて、まとめになるかどうかは分からないのですが、「時代と握手が出来た」作品だと思います。

映画と言うのは、テレビと違って時間のかかる映像制作です。

完成したとしても、公開のタイミングで印象が全く変わります。

震災後の{マルモのおきて}震災から数年立った時代の{あまちゃん}{半沢直樹}等、テレビは空気を読んで視聴者に出すタイミングを決めます。

ニーズです。

映画の場合はニーズでは無く{主張}が大事な映像制作です。

{主張}が共感する部分が多いと、割と興行的にあたるのですが、名作にはなりません。

「復讐するは我にあり」は、とても快活な物語でも、人間の生き様の物語でもありません。

現代に失われつつある、{人間の血筋}が、くっきりと描かれています。

1975年度公開で収益は当時で6億円。

高度成長期に差し掛かった日本で、{人間の血筋}がぼやけ始めた時代だと推測されます。

だからこそ榎津巌と言う、滑稽なまでに生き抜いてしまった男に、哀れみと憧れを感じたのでは無いのでしょうか。

現代社会の殺人とは違い、殺すも殺したり!殺されるも殺されたり!と、人間の息吹と血が通った事件だったのでは無いでしょうか。

金が欲しいわけでも無く、女を犯したかった訳でもなくなく、榎津巌はただただ、自分の育ちに翻弄されて、父親や家族への愛情が、全く反転してしまった男に感じて来てしまうのです。

サイコパスとは違う、強引に時代に壊された人間の悲しみを背負った男に感じて来てしまうのです。

観客も、そういう思いを感じらえる人が多かった時代だと思います。

2020年に公開したとしても評価は得られないでしょう。

ネット文化の今、困難が無くなってしまったからです。

情報も食べ物も、すぐそこにある時代。

榎津巌が生きた時代は、体罰も差別も格差のあった時代。

そして戦争と言う、大きな悲しみの中で、人を殺めてしまった人間が、街に普通にいた時代。

屈折した大人の目を見て、榎津巌は屈折した人間になりました。

映画の中だからこ哀の男になれました。

人間の命の価値。

人間の人生の価値。

・・・そして時代から見た人間の価値・・・裏に流れる物語がこの映画を{時代と握手}させてたのだと思います。

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