映画「穴」のあらすじ・感想。可視と不可視との閾。

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出典:U-NEXT

『穴』(1960年)のあらすじ:自由に向けて

車の整備していた男がカメラに向かって、つまり観客に向かって前口上を述べる。

「こんにちは。友人のジャック・ベッケルが私の体験を忠実に映画化しました。1947年にサンテ刑務所で起きた出来事です」。

舞台はパリのサンテ刑務所。その11号棟の6番の中には重罪とおぼしい四名の囚人、ロラン、マニュ、ボスラン、そしてジョーがいた。

彼らが脱獄を計画しているところへ新たに囚人ガスパールが移されてくる。

思案の末、新入りを信用することにした四人は協力し合いながら監獄の外を目指して地道な脱獄作業を積み重ねることになる。

ガスパールが捕まったのは痴情のもつれによるものだった。

しかし素行・品行の良さを所長に認めらていたガスパールは、彼の口から妻が訴えを取り下げられたことを聞かせられる。

素直に喜べないガスパールの表情に不審の念を抱いた所長は彼に訊ねるが…。

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『穴』のキャスト

  • クロード・ガスパール:マルク・ミシェル
  • ロラン・ダルバン:ジャン・ケロディ
  • マニュ・ボレリ:フィリップ・ルロワ
  • ボスラン:レイモン・ムニエ
  • ジョー:ミシェル・コンスタンタン
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スタッフ

  • 監督:ジャック・ベッケル
  • 脚本:ジョゼ・ジョヴァンニ、ジャン・オーレル、ジャック・ベッケル
  • 製作:セルジュ・シルベルマン
  • 撮影:ギスラン・クロケ
  • 編集:マルグリット・ルノワール

『穴』のネタバレあり感想

ポイント1:友情と裏切り

本作は、フレンチ・ノワールの嚆矢とされる作品『現金に手を出すな』(1954年)を監督したジャック・ベッケルによって製作された脱獄映画である。

初老のギャングの友情を描いた『現金に手を出すな』に対して、『穴』はその関係性を不安定にする。

はたしてこの男は信用に足る人物なのか。

『現金に手を出すな』が友情にひびを入れる要素として異性愛(つまり女性)が描かれていたが、『穴』ではもはや女性はほとんど登場せず、純粋に男たちの友情を描くことになる(そのためフランスの批評家セルジュ・ダネーは、同性愛的なコノテーションを作品内に認めている)。

この友情が徹底して天秤にかけられることになるが、しかし四人の男たちはひとまず信用することにする。

そうしなければ、着手さえままならないからだ。

『穴』は地道に作業を描いてゆく。

穴を掘る様子を長回しで——つまりワンカットで——捉えるとき、役者への負担もあたかも実際の囚人が経験したものと同様になる。

吐息や汗といった身体的な反応が見られるからだ。

また、穴を掘り終えたあと、地下をめぐる手探りの探検も観客は追体験することになる。

本作で最も美しい場面の一つに、下水道における掘削のそれがある。

脱獄すると警察が家へ行くため病身の母に負担をかけてしまうため脱獄を辞めると言うジョーはマニュに打ち明ける。

その二人が下水道で作業をしていると、突然、穴が崩れ、ジョーは生き埋めになる。

マニュは一心不乱に土を掘り続ける(カットが切り替わる瞬間にマニュが上裸になることで時間の経過を示す見事な省略がある)。

ついにジョーの手が視界に入る。結ばれる手。

このように友情が美しいものとして、つまりポエジーとして見る者に感得されるために必要な重要な要素はなにか。

それこそが「裏切り」の主題である。

最終的に、ガスパールは保身のために仲間を売る。

あと一歩のところで脱獄計画が露見したとき、「沙婆」へ出るために正装していた4人の男たちは一斉に身ぐるみをはがされ、壁の前に立たされる。

所長の計らいでガスパールは別房へ移される。

その際、マニュはガスパールに向かって(カメラ目線で)、「可哀想なガスパール(Pauvre Gaspard)」とだけ言い放つ。なぜ可哀想なのか。それは見る者の判断に委ねられる。

この作品以後、フランス映画におけるフィルム・ノワールの伝統はこのふたつの主題を巡って展開されるようになる。

友情と裏切りを描く極北的な作品として『穴』は峻抜しているのだ。

ポイント2:可視と不可視との閾、そして音

このような主題が作品の通奏低音として流れている。

しかし見る者が画面に認めるのは、この脱獄が看守によってバレてしまうのかどうかというサスペンスである。

看守は決まった時間に覗き穴から囚人の様子を伺う。その覗き穴を逆手にとって、男たちは即席の小道具(ペリスコープと呼ばれる、歯ブラシの柄に小さな鏡を取り付けたもの)を用いて監獄から廊下を巡回する艦首の様子を伺うのだ。

このように『穴』の画面を活気づけるのは、このような可視/不可視の力関係の逆転にある。

このような力学は、最終的に再逆転する。脱獄する前、別れるジョーと男たちは抱擁し合う(ガスパールのみ握手)。

あらかじめ引いていたくじの順番で脱獄しようというそのとき、そのペリスコープを覗くと、廊下には無数の看守がこちら側を見ているのだ。

それを伝える暇もなく、アラームが鳴り響き、看守が一斉に独房になだれ込む。

同時に、ガスパールの裏切りにかすかに気づいていたマニュは彼の首を思いっきり絞めるものの、すぐさま引き離されてしまう。

そのときのガスパールの叫び。

『穴』は、音楽などのBGMを一切用いていない映画として知られているが、本篇通して音が鳴り響く作品である。鍵を開ける/閉める音、床を叩く音、穴を掘る音など。

男たちがはじめて脱獄するための作業、すなわち床に穴を開ける掘削時に鳴り響く音は、登場人物だけではなく(ガスパールは耐えきれず両手で耳を塞ぐ)、観客の身体に訴えかけるほどの威力がある。

4分ほどの長回しで捉えられた男たちの掘削作業は、『大いなる幻影』や『大脱走』といった脱獄映画の傑作として知られる作品に欠けた、リアリズムがある。

ポイント3:ロベール・ブレッソンの『抵抗』

脱獄映画としての『穴』の大きな参照項として、同じフランスの映画作家ロベール・ブレッソンの『抵抗(レジスタンス)—死刑囚の手記より』(1956年)がある。

『穴』と同じく実話を基にした『抵抗』は、しかし舞台の時期は第二次世界大戦時に遡る(タイトルのレジスタンスとは対独抵抗運動を指すと同時に脱獄そのものにおける抵抗性をも指す)。

この作品に特徴的なのは、ひたすら登場人物にカメラが付き添い、その一挙手一投足を捉える点だ。

独房に入れられた主人公は、毎日少しづつスプーンで木の扉を削ってゆく。

この地道な作業をひたすら見せること。この具体的な身ぶりを観客に示すことが、ジャック・ベッケルがロベール・ブレッソンから学んだ事実に他ならない(同世代の二人は実際に親交があった)。

とはいえ、この二つの脱獄映画を大きく隔てる点がある。それが個人/集団である。

ブレッソンはモノローグを用いて主人公の思考を言語化しながら見る者にその身ぶりが持つ意味を説明していた。

これに対してベッケルは五人の囚人の関係性を描く。

主に四人と一人に分けられる男たちの関係性は上に書いたが、付け加えるとすれば、微妙な演出によって描き分けられている。

例えば、最初の掘削時、廊下の様子を伺う役目をガスパールが引き受けようとしたとき、四人は一瞬ためらう(カメラは④人の視線を素早くつなげる)。

ベッケルは初期の頃から主要な登場人物を複数に設定していた。

ナチス・ドイツの占領期に撮られた長編デビュー作『最後の切り札』は二人の探偵見習いの友情を描き、次作の『赤い手のグッピー』も家族の関係性を問題としていた。

また戦後の作品『幸福の設計』から『エストラパード街』まで、戦後のパリの夫婦関係や青春群像を描いた。

遺作となった『穴』もこのような流れに位置づけることができ、またブレッソンの脱獄映画と一線を画しているのだ。

まとめ

『穴』は、公開した翌週に、ヌーヴェル・ヴァーグの金字塔的な作品『勝手にしやがれ』が公開され、批評家から黙殺されることになる。

監督は不幸にも公開する前に病によって夭折する。

このように「呪われた」作品は、しかし、現在では脱獄映画の傑作として再評価されている。

何度見ても細部に新たな発見がある作品を古典とするならば、『穴』はその中に含まれるはずだ。

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